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東京地方裁判所 平成7年(ワ)944号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金二四〇万円及びこれに対する平成七年二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを九分し、その八を被告の、その余を原告の負担とする。 四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  請求原因第1項(一)のうち原告が読売、朝日及び毎日新聞等の広報月刊誌の主要広告スペースを年間契約しているとの点を除くその余の事実、同項(二)、同第2項(一)のうち被告が広報月刊誌の広告スペースを自ら販売しようと企てたとの点を除くその余の事実、同項(二)のうち被告がエス・ピー・ケイに対し、広告スペースを広告主に販売して欲しいと申し入れたこと、同項(三)のうち被告が平成六年九月下旬広告スペースが販売可能かどうか大通に問い合わせたことは、当事者間に争いがない。

二  右争いがない事実に加え、《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる(本項に限り、平成六年中の出来事については年度表示を省略する。)。

1  広告代理店である原告は、二二、三年程前から読売新聞東京本社の広報月刊誌「読売家庭版」に掲載される広告の取次を、その数年後から同新聞大阪本社の同様の月刊誌「読売ライフ」に掲載される広告の取次を行ってきた。

「読売家庭版」は、読売情報開発センターという広告代理店が泉広告社、博報堂、読売インフォメーションという広告代理店に広告スペースを提供するものであり、平成六年において、原告は、ほぼ毎月号分について、泉広告社から「読売家庭版」の「表二」「表四」と「中面」の一頁を、博報堂から「中面」の一頁を提供してもらっていた。

また、原告は、「読売ライフ」については、その広告営業を扱う読売ライフと契約して広告スペースを確保しており、平成六年において、毎月号の「表二」「表三」「表四」と「中面」一頁を提供してもらっていた。

原告がこれらの広報誌の広告取次を行うにあたり、当該年度の実績分は翌年度も確保されるのが通例であったので、原告は、右各広報誌の平成七年一月号以下についても、平成六年と同様の広告スペースを確保し得るものと予定していた。

なお、右の「表二」とは表紙の裏面、「表三」とは裏表紙の裏面、「表四」とは裏表紙のことである。

2  原告は、泉広告社等から提供を受けた「読売家庭版」「読売ライフ」等の広報誌、拡販誌の広告スペースを、従前、主として他の代理店を介して、広告主に販売していた。

しかるところ、原告代表者は、九月一〇日ころの営業会議において、被告を含む従業員らに対し、広告主との間に他の広告代理店が介在するとそれだけ原告の減収となるので、基本的には原告が直接広告主と取引するようにと指示した。

もっとも、右の指示は、原告が取り扱う広告媒体の全部について他の広告代理店を介在させないというのではなく、とりわけ、需要の低い広告媒体については、なお引き続き他の広告代理店を介して広告主に販売することをその趣旨とするものであった。

3  被告は、平成元年ころから、原告の営業部長として、右各広報誌等を広告主に販売する業務の責任者たる地位にあった。

ちなみに、平成六年における原告の全収入のうち、これら広報誌、拡販誌の広告取次による収入がおおよそ七〇パーセント程を占めており、その業務の責任者である原告の地位は、要職というにふさわしいものであった。

しかるに、被告は、原告にとって繁忙期にあたる九月一〇日ころ、原告代表者に対し、知人のゴルフショップの仕事を手伝うことになった旨の理由を述べて、同月末日をもって退職する旨を届け出た。

その後、被告は、他の社員への引継ぎなどのため、一〇月七日まで出勤し、さらに、同月一五日までの有給休暇を取得した扱いとされ、同日分までの給与の支給も受けた。

その一方で、被告は、同月七日、実質的に全額出資して広告代理業務等を目的とするダイレクト広告を設立し、自らその代表取締役に就任したが、そのことを原告代表者ら原告のしかるべき地位にある者には告げなかった。

4  被告は、九月初め、原告の従業員として、原告と代理店関係にあったエス・ピー・ケイに対し、「読売ライフ」平成七年一月号の「表紙三」が空いたので、通常よりも安い料金でよいからこれを広告主に販売して欲しいと申し入れた。そして、エス・ピー・ケイは、九月八日、右「表紙三」にサカトの広告を代金一五〇万円で掲載したい旨を文書にして、これを被告宛の送信書付けで原告にファックス送信したが、右ファックスの受信文書は原告に存在しない。

いずれにしても、被告は、同月中に、エス・ピー・ケイの担当者と面談した際、原告が基本的に広告代理店と取引しないという方針をとることになったが、被告が原告を退職する予定であり、かつ、「読売ライフ」平成七年一月号については被告が広告スペースを確保しているので、従前の原告と同じ条件で今後被告がエス・ピー・ケイと取引をしたい旨を述べ、エス・ピー・ケイの担当者も、これを了承し、サカトの広告を原告ではなく被告に取り次いでもらうことにした。

その後の一〇月一二日ころ、原告代表者は、読売ライフの広告部門担当者から、「読売ライフ」平成七年一月号について、原告以外の広告代理店の取次申込みがあるので、広告スペースを埋められないのであればこれを手放して欲しい旨の電話を受け、急遽奔走して、原告において、従前取引のあった日本フローラルアートに広告を出してもらうことにし、同月号の「表紙三」を同社に代金一六〇万円で販売した。

また、そのころ、原告は、同月号の「中面」をサン・ケンに代金一一〇万円で販売した。

5  被告は、九月下旬、原告の従業員として、原告と代理店関係にあった大通の代表者に対し、「読売家庭版」平成七年一月号について、空きスペースがあればこれを大通を介して広告主に販売することが可能かどうか打診した。また、被告は、そのころ、大通代表者に対し、原告を退職する予定である旨も話していた。

これに対し、大通代表者は、空きスペースの販売は可能と思う旨を返答したうえ、従前取引のあったミコー及び日本ガラベラドゥパリに連絡をしたところ、右両者がいずれも広告を出したいとの意向を示したので、一〇月六日ころ、被告にその旨を告げた。

一方、被告は、右同日か翌七日ころ、原告代表者に対し、「読売家庭版」平成七年一月号の広告が販売しきれていない旨を述べた。

原告代表者は、間もなく同月号の広告出稿締切日となるのに、これから広告主を探し出すことは困難であると判断し、一〇月七日、泉広告社に対し、未だ販売していなかった同月号の「表二」「中面」について、広告掲載予定を取り消す旨連絡した。

しかるところ、被告は、同日、大通代表者に対し、原告が「読売家庭版」平成七年一月号の広告掲載予定を取り消したが、被告自身がこれを取り扱うことができる旨を告げた。そこで、大通代表者は、被告に対し、ミコー及び日本ガラベラドゥパリの広告取次を依頼し、後日、右両社と大通、ダイレクト広告、泉広告社らとの間で順次正式に取引がなされて、ミコー及び日本ガラベラドゥパリの広告が「読売家庭版」平成七年一月号に掲載された。

なお、ミコー及び日本ガラベラドゥパリは、従前大通を介して原告に広告取次を何度か依頼したことのある広告主であった。

三  以上の事実認定のうち、前記二の5について、被告は、その本人尋問において、平成六年一〇月初め、「読売家庭版」平成七年一月号の広告を販売しきれていないが、大通を介して広告主に販売することが可能であるかも知れない旨を原告代表者に述べたところ、原告代表者が、他にも大通との取引があるのに、さらに大通と取引をすると、その取引高が原告内部で取り決めた大通に対する与信枠を超えてしまうとして、大通との取引の話を中止するよう原告に命じたと供述する。

しかし、広告出稿締切日直前における広告掲載予定の取消しは、原告の信用を低下させるおそれがあり、また、前記認定のとおり、原告の営業に関しては当該年度の実績分が翌年度にも確保されるのが通例であるから、原告代表者としては、料金支払について不安があったにしても、販売見込みがあると知っていたならば、広告主が原告との取引実績を有するものであったこともあって、広告取次を断行していたであろうと考えられる。また、ダイレクト広告を設立した被告としては、販売見込みがある旨を原告に報告せず、これを断念させたうえで、自ら広告取次を行うことがその利益に直結する立場にあり、現実にその後ミコー及び日本ガラベラドゥパリの広告取次を行っている。これらの事情及び《証拠略》に照らすと、被告の右供述は信用することができない。

四  以上認定の事実関係のもと、被告の責任原因及び原告の損害について検討する。

1  雇傭契約関係は、使用者と従業員との信頼関係を予定する継続的な債権債務関係というべきであり、雇傭契約上、従業員は、労務提供の義務のみならず、使用者の正当な利益を右の信頼関係を破壊するような態様で侵害してはならないという付随的な義務をも負い、右義務に違反して使用者に損害を与えた場合には、債務不履行として右損害を賠償すべきものと解される。

これについて、被告は、取締役との比較により、従業員が債務不履行責任を負うのは義務違反の程度及び損害の程度が重大な場合に限られると主張するところ、労務提供により必然的に生起する些細な過誤は右の義務違反に当たらないにしても、従業員が、雇傭契約の継続中に、使用者と競業関係にある企業を設立してその利益となる行為をし、これにより使用者に損害を与えた場合には、右の信頼関係を破壊するものとして、債務不履行責任を負うというべきである。

2  ところで、原被告間の雇傭契約の終了時期についてみると、被告は、当初、平成六年九月末日をもって退職する旨を届け出ているものの、その後現実には同年一〇月七日まで出勤し、後任者への事務引継ぎのみならず、「読売家庭版」平成七年一月号の広告スペースが販売しきれていない旨を原告代表者に報告するなど、営業部長としての職務を継続していたものであり、さらに、同月一五日まで有給休暇を取得してその分の給与も得ていたのであるから、雇傭契約の終了時期を退職届出よりも延長して同月一五日とすることについて、原告との間で、明示または少なくとも黙示には合意したものと解するのが相当である。

したがって、被告は、同月一五日まで、原告の営業部長としての職務を忠実に全うすべき義務を負っていたものということができる。

3  そこで、「読売ライフ」平成七年一月号について検討するに、エス・ピー・ケイがファックスで送信した文書が被告のもとに届いたかどうかはともかくとして、エス・ピー・ケイは、同月号の「表紙三」について、代金一五〇万円としてサカトの広告掲載を申し込んだものである。ところが、原告は、その後、同月号の「表紙三」を日本フローラルアートに対して代金一六〇万円で販売している。

しかるところ、被告のもとにエス・ピー・ケイからの右文書が届いたのだとしても、被告がその旨を原告に報告していれば、原告において、同月号の「表紙三」について、エス・ピー・ケイからの申込額以上の、さらには日本フローラルアートへの販売代金以上の収入を得たであろうとする的確な証拠はない。

また、エス・ピー・ケイは、同月号の「表紙三」について広告掲載を申し込んだのみであるから、これを被告が原告に報告したとしても、同月号の「中面」については原告において別途販売の方策をたてなければならないのであり、被告の報告懈怠がなければ、原告がサン・ケンとは別の広告主に対してサン・ケンへの販売代金一一〇万円以上の代金をもってこれを販売し得たであろうとする的確な証拠はない。

したがって、「読売ライフ」平成七年一月号に関しては、仮に、被告がエス・ピー・ケイからの広告掲載申込を敢えて原告に報告しなかったのだとしても、これにより原告に損害が生じたとは認められず、その他の被告の義務違反行為または不法行為により原告に損害が生じたとする主張立証もない。

4  つぎに、「読売家庭版」平成七年一月号について検討するに、原告が大通を介して広告主に広告スペースを販売する見込みがあることを知ったならば、直ちに大通との交渉にあたり、取引を成立させたであろうと思われるのに、被告は、広告掲載の意向を有する広告主がいる旨の連絡を大通代表者から受けながら、その旨を原告代表者ら原告のしかるべき地位にある者に告げず、かえって、原告代表者に対して、同月号の広告スペースを販売しきれない旨を述べたのみで、被告が大通を介して右広告主との取引を成立させる機会を失わせている。

加えて、被告が知人のゴルフショップの仕事を手伝うことになったなどと述べて繁忙期に敢えて退職を届け出ていながら、原告と競業関係にあるダイレクト広告を雇用契約終了前に設立していること、また、原告が広告掲載予定の取消を泉広告社に告げたのと同じ日に、被告が大通代表者に手際よく連絡して広告主との交渉を始めていることに照らすと、右の報告懈怠ないし不実告知は、単純な過誤ではなく、原告の損失においてダイレクト広告に利益を得させようとする意図に基づくものと推認せざるを得ず、さらに、被告が営業部長という要職にあったことも併せ考慮すると、原告との雇用契約上の信頼関係を破壊するに足りる行為であるというべきである。

したがって、被告の右の行為は従業員としての前記付随的義務に違反するものであり、被告は、原告が同月号の「表二」「中面」の広告掲載を断念したことにより逸失した利益について賠償する責を負う。

そして、《証拠略》によれば、原告は「読売家庭版」平成六年一月号の「表紙二」をマルヨシに対して代金五八〇万円、純利益一六〇万円で、同月号の「中面」をサン・ケンに対して代金三八〇万円、純利益八〇万円で売却した実績を有していると認められ、特段の事情のない限り、「読売家庭版」平成七年一月号についても右と同程度の利益(純利益合計二四〇万円)を得たであろうと思料されるところ、右特段の事情の主張立証がない。

五  以上の次第で、原告の請求は、前記債務不履行に基づき金二四〇万円の損害賠償及びその遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石橋俊一)

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